菩薩の起こり
大乗仏教はお釈迦様の時代から数百年の後に盛んになった教えですが、それは「お釈迦様の教えの真意」を大乗仏教の立場から明らかにしようとした仏教の新しい運動でもありました。大乗仏教徒にとって最大の関心事の一つは、如来がかつて出現し、多くの人々に掛け替えのない生きる勇気を与えられたという事実でした。と同時に彼等自身も、お釈迦様の原点に帰って、仏陀となり如来として生きる道を理想としたのでした。その根本精神は、自己の悟りだけでなく、他の生きとし生けるものの幸せを願うところに特徴があります。そのような大乗仏教の修行者たちは「菩薩(ぼさつ)」と呼ばれました。またその一方で菩薩の理想的な姿を追い求め、すでに前の時代から未来仏として信仰を集めていた弥勒(みろく)菩薩に加え、文殊菩薩や観音菩薩や普賢菩薩といった偉大な菩薩たちを生み出していきました。
普賢菩薩とは
当院のご本尊でもある普賢菩薩は、もと『華厳経(けごんきょう)』が編纂される過程で生み出された菩薩であるといわれています。『華厳経』は仏陀の悟りの内容をそのまま描いたものといわれ、大乗経典の中でも最も傑出した壮大な世界観を有するものとして有名です。「普賢」というのは、あまねく行き渡って優れているという意味で、本来は仏の徳を讃えた言葉であったと推定されています。それがどのような過程を経て菩薩の名前とされるようになったかは定かではありませんが、普賢菩薩は仏陀の悟りの世界である清浄にして華麗なる「華厳経の世界」を解き明かす重要な役割を担って登場しました。わが国では、普賢菩薩の像は白象に乗ることで有名です。このスタイルは『法華経(ほっけきょう)』に由来し、そこでは普賢菩薩が六牙(ろくげ)の白象(びゃくぞう)に乗って現われ、法華行者を守護すると説かれています。
金剛薩たとは
密教は大乗仏教で重んじられた利他精神をより積極的に生かして、人々を救済しようとする教えです。密教では修行者のことを真言行者(しんごんぎょうじゃ)といいますが、真言行者の最も理想的な姿を「金剛薩た(こんごうさった)」と呼んでいます。この金剛薩たの前身の一つが、実は『華厳経』に現われた普賢菩薩なのです。このことから、金剛薩たと普賢菩薩は同体と見なされ、密教では普賢金剛薩たとも呼ばれています。ただし金剛薩たは金剛手菩薩とも呼ばれるように、普賢菩薩とは像容が異なります。金剛薩たは澄み切った秋の夜空に輝く月のように清らかな満月輪の中で禅定(瞑想すること)に入り、右手に五鈷杵をもち、左手に五鈷鈴をもつように描かれます。「月輪」とは私たちのこころのなかにある清らかな菩提心すなわち悟りの心を表しています。このように、金剛薩たは普賢菩薩を前身として生まれ、菩提心の存在として、常に私たちの心の中にあって、私たちを見守り、導いてくださる仏様です。